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やっぱラーメンでしょ! ラーメン自由帳


更新は不定期に、ラーメン店の閉店情報や、その他気づいたことなど、自由に書いていきます。
今まで自由に書けるコンテンツがなかったので作りました。
メインはラーメン情報ですが、それ以外のことなんかも自由に書く予定です。


もくじ
系列について
ラーメン業界ニュース
  • 青葉店主襲撃事件
  • 「あ・うん」店長、
    強盗強姦容疑で逮捕
ラーメン情報 その他
ラーメン以外の情報 
偏食注意
止める 追跡を止める
エッセイ
  京都王将と大阪王将

「よってこや」の記事を書いたときに京都王将と大阪王将について調べました。

王将は最近でこそ関東でも見かけるようになりましたが、活動の拠点は関西です。関西圏では吉野家、マクドナルドなどと並ぶほどの知名度で、まず知らない人はいない有名中華料理チェーン。全般的に低価格で、特に安くておいしい餃子が有名です。京都出身の筆者も昔から幾度となく食べています。

しかし実は王将には2つの系統があるのです。いわゆる本家の京都王将と分家の大阪王将です。詳細をまとめました。
餃子の王将 ■餃子の王将(京都王将)
京都市山科区に本社のある株式会社王将フードサービスが関西地区を中心に全国展開する中華料理チェーン。通称は「王将」、「京都王将」。
1号店は1967年12月オープンの京都四条大宮店。「卵1日20万個、餃子1日100万個」のキャッチフレーズのCMはこの餃子の王将。

大阪王将 ■大阪王将
大阪市中央区に本社のあるイートアンド株式会社が大阪を中心に全国展開する中華料理チェーン。1号店は1969年9月オープンの大阪京橋店。2002年10月に株式会社大阪王将からイートアンド株式会社に社名を変更している。

■のれん問題
大阪王将の先代社長が京都王将で修業し、その後1969年のれん分けにより、別会社「大阪王将」として独立したのが大阪王将の原点。Wikiの情報によると(大阪王将の)先代社長は、王将フードサービスの創業者一族のようだが、血縁関係があるかは不明。いずれにせよ、大阪王将の原点は京都王将ののれん分けであることは間違いない。

のちに、大阪王将がチェーン展開を始め、京都に出店した際に、王将フードサービスは「王将」の使用をさせない旨の提訴し訴訟問題に発展した。その後、折衷案で王将フードサービスは「餃子の王将」として、大阪王将は「大阪王将」としてそれぞれ「王将」を使用できることで和解している。

■のれん分けには、法律上の定義がない
ラーメン業界でもよくあるこの「のれん分け」だが、商標問題に関するトラブルに発展することが少なくない。理由としては、ひとくちに「のれん分け」と言っても、その具体的な内容は多種多様で、法律上の定義がないためである。以下引用になるが、
のれん分けとは、元の雇用主と「のれん分け」を受けて新規開業する人との契約関係であり、公序良俗に反しない限り、原則として自由にその内容を決めることができるそうです。
とは言ってもこういったケースのほとんどが口約束や、細かい内容を決めていないことがほとんどである。また、月日が流れ2代目、3代目と代が変わり、のれん分けを承諾した先代が死亡していたりすると、現経営者にとっては全くの他人が、同じ店名を使用していること(感覚)になる。

また、社会情勢の変動も理由の1つとしてあげられる。商標権(知的財産権)が特に重要視されるようになったのが、1980年代後半頃からであり、それまでは軽視されていた感がある。(特に飲食店のような零細企業においてはその傾向が顕著)そのため、今回のような1960年などでは商標権という概念自体にかなり無頓着だった可能性があり、それが時代の流れと、会社の成長とともに争いの種になっていると考えられる。
まあ、のれん分けをした当時は、将来お互いのお店が関西でも屈指の中華料理チェーンに成長するとは、創業者本人すら想像できなかっただろうし。

ちなみにラーメン業界では訴訟問題にこそなっていませんが、家系、純連系 などでのれん分けの問題があります。こちらについては、別項目で詳しく取り上げていきたいと思います。

  土佐っ子ラーメン

1970〜80年代にかけて、東京都板橋区常盤台1-58-3の環状七号線沿いにあったお店が「土佐っ子ラーメン」。「ホープ軒本舗」の創始者である難波氏が始めた貸屋台業のうちの1つが後の「土佐っ子ラーメン」の原点となった。環七ラーメン激戦区の礎を築いたお店でもあり、その代表格でもある。
背脂チャッチャ系ラーメンの元祖とも言われ、一時期はその絶大な人気ぶりに、環七に土佐っ子ラーメンによる渋滞ができたほどと言われている。
また、1ロット17杯をまとめて調理し、お客には食券の替わりに、赤い箸と白い箸を渡し、その箸を目印に完全入替え制を導入していたことでも有名。

その土佐っ子ラーメンの歴史だが、非常にややこしい。管理人もネット上などの情報をかき集めたものの、どれが本当でどれが間違いなのかが判断しかねる部分が多々ある。とりあえずは、憶測も交えて一通りをまとめてみた。

◆初代土佐っ子
絶大な人気を誇った「土佐っ子ラーメン」の初代店主は、その後莫大な借金を背負ったため、そのカタに店の経営権が移ってしまったようだ。ちなみに借金の理由は、バブル期の不動産による借金、博打による借金など、諸説あるが詳細は不明。

◆土佐っ子ラーメン(なすび)
経営権が移った後、しばらくは「土佐っ子」という店名で営業していたが、その後店名を「なすび」に変更。(店名を正式に変更したのか通称が定着したのか、やや不明確。いずれにせよこの頃のお店は「なすび」と呼ばれている)丼になすびのマークが入っていたそうだ。
当初は初代土佐っ子からの顧客も多く来店していたようだが、初代とはかけ離れた味に、お客さんはどんどん離れていく。一時期、栃木県那須に支店があった模様。

その後、オーナーと店員との意見対立から、衝突や確執が発生したことで土佐っ子一派は分裂。分裂後しばらくして、「土佐っ子ラーメン(なすび)」は閉店。
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ここから先が分裂後。

■元祖環七土佐っ子ラーメン
なすびに残った店員(経営陣も含めてかな?)がなすび閉店後に新宿歌舞伎町にオープンさせるが1年もたずに閉店。その後、練馬に場所を移すも、こちらも閉店。
後に「土佐っ子」の商標権に絡んだ問題が勃発しているが、商標権を取得したのはこの系統かと思われる。
なお、この商標権はこの「元祖環七土佐っ子ラーメン」(なすび系統)の消滅後に、次の「元祖環七土佐っ子ラーメン本店」に売却したと言われている。

■元祖環七土佐っ子ラーメン本店
何処から出てきた系統なのか不明だが「土佐っ子」を名乗り、2000年に千葉県松戸市にオープン。当初は、上記「なすび」の流れを組む「元祖環七土佐っ子ラーメン」と商標権の問題で争っていたが、その後なすびの系統が消滅したことで、商標権を買ったと言われている。しかしこちらのお店もその後閉店。

■下頭橋ラーメン
なすび時代に分裂してできたお店。当初は別の場所で「元祖土佐っ子ラーメン」の店名で営業していたが、「土佐っ子ラーメン(なすび)」閉店後その跡地に「下頭橋ラーメン」として移転オープン。
なお、店名に「土佐っ子」を使用しなかったのは、「土佐っ子」を商標登録され、使用できなかったためと思われる。ちなみに、下頭橋とは初代店主が屋台時代に営業していた橋の名前。一般的に「土佐っ子」の正式な流れを組むのはこの系統とされている。
※この系統には初代店主が関わっているような情報もあったが詳細は不明。
2007年頃に、ときわ台駅と上板橋駅の間、板橋区常盤台3-10-3に場所を移転させている。また、下頭橋ラーメンの、のれん分け店が埼玉県戸田市にある。

■環七土佐っ子ラーメン(池袋)
初代土佐っ子店主のお店が衰退し始めた頃に、店主が愛人に与えたと言われるているお店。初代土佐っ子店主の離婚した前妻が経営しているとの情報もある。メニューには普通の醤油・味噌ラーメンや、中華定食などもあり、他の土佐っ子一派とは明らかに異なる路線。
※ちなみに現在でも「土佐っ子」を名乗れるのは、なすび系統土佐っ子一派の商標登録前から使用しているためかも。(あくまで予想)

■平太周
同じく環七沿いで、初代土佐っ子の場所から板橋本町の方へ少し進んだ場所に、平山雄一氏が土佐っ子ラーメン関係者ら3名と独立して始めたお店。店名は3名の頭文字を取って命名。
土佐っ子ラーメン黄金期に最も近い味と言われ土佐っ子ファンが多く訪れた。その後、品川区大崎にのれん分け店「平太周 味庵」ができたが、本店である環七沿いのお店は閉店。
なお平山氏は閉店前の2008年に新しいラーメンをプロデュースするため平太周を離れ、「韃靼ラーメン一秀」を豊島区池袋にオープンさせている。現在でも、そのお店の「特製ラーメン」が土佐っ子ラーメン黄金期の味に最も近いと噂されている。
※下記の写真が韃靼ラーメン一秀「特製ラーメン」

韃靼ラーメン一秀「特製ラーメン」追加情報として、平山氏はなすび時代のオーナーの別荘で内装をやっていた職人さんで、料理好きとの事から、なすび那須店の運営を任されることになった。また、平山氏はなすび時代の分裂時に独立したのではなく、元祖環七土佐っ子ラーメン系統の練馬移転時まではなすび系統に所属していたとの情報もある。(情報の出所が一ヵ所のため情報の信憑性は保障できない)

■じょっぱりラーメン
当初は、練馬区練馬に「練馬ラーメン(環七土佐っ子独立店)」として営業していたが、2006年に板橋区下赤塚に「じょっぱりラーメン」と店名を変更して移転している。店主がどの時代のどのお店に関連しているかは不明。

■環七ラーメンてらっちょ
平太周の店主(平山氏かな?)夫人の妹の旦那が千葉県我孫子に開店させたお店。当初は「土佐っ子ラーメン」の店名だったが、いつの間にか「環七ラーメンてらっちょ」に店名が変更されている。平太周での修行経験があり、創業後間もなくは仕込みを一緒にやっていたとの噂もある。